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バラード『忘れられた者』(、ラテン文字表記の例:Ballada«Zabytyi»)は、モデスト・ムソルグスキーが1874年に作曲したピアノ伴奏による歌曲。演奏時間はおよそ2分。 == 概要 == 戦争画家として知られるヴァシーリー・ヴェレシチャーギンが1871年にの一環として描いた同名の絵画〔http://www.mussorgsky.ru/bio52.html〕に触発されて作曲された。この絵は、前線で斃れそのまま戦場に置き去りにされたロシア軍兵士の遺体と、それをついばもうと群がるカラスの群れを描いている〔参考文献 「名曲解説全集」「作曲家別名曲解説ライブラリー」の井上頼豊による解説では、「空虚な戦場に詰まれた骸骨の上に禿鷹が舞う画に感銘を受けた作曲者が(以下略)」という説明になっているが、これはヴェレシチャーギンの別の絵『戦争の結末』()を指していると思われる。〕。ムソルグスキーは、1874年にサンクトペテルブルクで開催された展覧会でこの絵を観て心を動かされ、同じく絵に感銘を受けたアルセニイ・ゴレニシチェフ=クトゥーゾフが書いた詞に付曲、画家に献呈している〔作曲時期は参考文献の大半が1874年秋としているが、「ロシア音楽の魅力」は同年5月7日から17日としている。〕。ムソルグスキーとゴレニシチェフ=クトゥーゾフの最初の合作となった作品で、作曲家と詩人の協力はこの後、歌曲集『日の光もなく』、『死の歌と踊り』などの諸作品を生み出すこととなった。曲調は陰鬱で、葬送行進曲を思わせるものとなっている。作曲された年にベッセリ社から出版され〔出版についても「名曲解説全集」で井上頼豊は「反戦的内容のため、作曲者の在世中は演奏も出版も禁止されていた」としている。「作曲家別名曲解説ライブラリー」では、出版年を改訂されていない井上の解説文の前に記したため、矛盾した内容となってしまっている。〕、ムソルグスキーの死後、1887年にグートヘイル社から再版された。 なお、ヴェレシチャーギンの絵は、彼の才能を高く評価していたロシア皇帝アレクサンドル2世から「ロシア軍には同朋の遺体を異国の地に置き去りにする者はいない」と批判されたことから、画家自らの手で破棄してしまうこととなった〔他にも『不意の攻撃』『突撃!』が破棄されたという。現在観ることのできる『忘れられた者』は、下書きから復元されたもの。〕。このことが原因で、ヴェレシチャーギンは一時、精神的失調に陥ったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「忘れられた者 (ムソルグスキー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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